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京都時代

私の修行時代は、22歳から24歳まで京都の相国寺専門道場で「二十世紀最後の禅僧」と言われる

「止止庵老師」のご縁から始まります。

  

「修行」と言うには、おこがましいほどのわずかな月日でしたが、大勢の雲水(修行僧)に混じり楽しく、

辛く過ごさせていただきました。修行の内容を未熟な私が語ることはできませんが、

珍しい写真を添えて何かを感じてください。

点心

私の修行時代は、22歳から24歳まで京都の相国寺専門道場で「二十世紀最後の禅僧」と言われる

「止止庵老師」のご縁から始まります。

  

「修行」と言うには、おこがましいほどのわずかな月日でしたが、大勢の雲水(修行僧)に混じり楽しく、

辛く過ごさせていただきました。修行の内容を未熟な私が語ることはできませんが、

珍しい写真を添えて何かを感じてください。

野菜のカレーですが、おいしくて何度もおかわりいたしました。

贅沢な食生活が当たり前の社会では味わえない絶品です。

食事を感謝して頂ける「当たり前の心」を思い出させます。

堂内と常住

写真は、「常住」の任にあたった時の写真です。(昭和55年雨安居)

 

禅の専門道場は半年に1度、坐禅や托鉢を専門に修行する「堂内」と

修行僧の食事や法要のお世話を専門に行う「常住」とに分かれます。

托鉢

写真は、托鉢を終えて専門道場に戻る雲水を、信者さんが待ち受けて撮したものです。

 

京都市の真ん中にある相国寺ですが、すべての食事は畑を耕しての自給です。

当時「堂内」には20名の修行僧が明けても暮れても坐禅を専一に行っていました。

あなたの周りにもここで修行した和尚さんがいるはずです。

  

「托鉢」は、京都市中に出向いて毎日行います。

煩悩の炎を法の雨で消し去り、布施の心を宿させるために「ホーウ(法雨)」と叫びながら托鉢します。

 

日が明けない3時・4時に起床(開静)して朝のお勤めや坐禅の後、草鞋に網代笠の姿で

炎天下の夏も寒波の雪の中も素足で出かけます。

午前10時には専門道場にもどります。3名~4名が1組で托鉢します。

作務

「作務」の休息写真です。

 

托鉢で頂いた米一粒・一銭も無駄にせず施した主の膏血と心がけ、

五体を維持する最低線の生活を行います。

 

「一日不作、一日不食(一日なさざれば一日食らわず)」の百丈禅師の教えに従い、

強制的な労働ではなく自ら進んで汗を流す。それを「作務(さむ)」と言います。

 

禅僧の仕事着を「作務着(さむぎ)」と言い、頭には白タオルをかぶり、黙々と働きます。

坐禅の「静」と作務の「動」で一年を過ごします。

修行僧(雲水)の生活を分かり易くまとめた臨済宗 殿秀山 瑞岸寺のホームページでご覧ください。

同じ相国寺で修行した方が紹介しています。(2段目左端が私です)

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